パテック フィリップの歴史|パテック フィリップ正規販売店は渋谷のヨシダ(YOSHIDA)

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パテック フィリップの歴史はポーランドに始まります。十八世紀の末、ポーランドは、その大部分がロシアの圧制下にありました。1830年、ポーランド軍が反乱を起こし、将校の一団がワルシャワにあったポーランド副王の宮殿を占拠しましたが最後には制圧され、弾圧を受けた多数のポーランド人が西ヨーロッパに亡命して行きました。

Antoine Norbert de Patek

アントワーヌ・ノルベール・ド・パテック(1812~1877年)

1812年7月12日ポーランドに生まれたアントワーヌ・ノルベール・ド・パテックは、将校として勲章も得ていますが、亡命後は、各国を回って亡命者団体間の連絡に努めました。その後1835年頃からジュネーブに居を定めました。時計と美術に関心の深かった彼は、高級懐中時計の製作にたずさわるようになります。
彼の製品は品質を何よりも重視したため、やがて多くの顧客を獲得するに至りました。

Jean Adrien Philippe

社名の歴史

1839年に《Patek, Czapek & Cie》として創立された当社は、その後4回社名を改めています。
1845年には《Patek & Cie》、1851年には《Patek Philippe & Cie》、1901年からは《Ancienne Manufacture d’Horlogerie Patek Philippe & Cie, S.A.》、そして1932年からは、《Patek Philippe SA》となって現在に至っています。

第一期

パテックチャペック社の誕生

製品の大きな成功に勇気づけられたアントワーヌ・ノルベール・ド・パテックは1839年5月1日、やはりポーランド移民で有能な時計師のフランソワ・チャペックと共同で最初の会社、《パテックチャペック社》を設立しました。6名の工員を抱えるパテックチャペック社は、年間200個の高品質な懐中時計を生産していました。
今日まで保存されている数少ない当時の製品を見ると、美的な探求と技術的な巧妙さが統合され、きわめて完成された境地に達していたことが分かります。しかし6年後、フランソワ・チャペックは社を退きます。

天才的な発明家ジャン・アドリアン・フィリップ

1815年、時計師の息子としてフランスに生まれたジャン‐アドリアン・フィリップは、発明の才にあふれた 技術者でした。
すでに弱冠21歳にして自ら工房を開き、年間150個の懐中時計 を生産していました。1842年、27歳の時、竜頭による巻上げ・時刻合わせの機構を発明しました。彼はこの機構を組み込んだ製品を売り出し、 大きな販売実績を上げる計画でした。
しかし2年後にアントワーヌ・ノルベール・ド・パテックと邂逅したことが彼の人生の転機となったのです。

大冒険の前夜

1844年、アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックはパリでジャン‐アドリアン・フィリップに出逢いました。フィリップはパリで行われていた博覧会に自身の発明した革命的な機構を出品していたのです。
2人は直ちに意気投合し、ジャン‐アドリアン・フィリップは1845年、《パテック社》(Patek &Cie)の共同経営者となります。1851年には、《世界最高の時計をつくる》という社是の下に社名を《パテック フィリップ社》(Patek Philippe & Cie)と改めました。アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックとジャン‐アドリアン・フィリップの協力が、世界の時計製作史を変えることになったのです。

革新的で国際的なパテック フィリップ社

時代は工業生産の夜明けを告げていました。ジャン‐アドリアン・フィリップは時計生産の方 法を一新し、機械化を押し進めました。
1845年には最初のミニット・リピーター付懐中時計を製作しています。しかしアントワーヌ・ノルベール・ド・パテックは、社の発展にとり国際的な知名度も重要であることを理解していたのです。1851年、ロンドンのクリスタル・パレスで最初の万国博覧会が開催されました。パテック フィリップが出品した竜頭巻上げ式の時計は、ヴィクトリア女王をはじめとする、世界各国の指導的地位にある人々から高い評価を与えられました。その後パテックはヨーロッパはもちろん、北アメリカに頻繁に旅行し、 1870年以降は南アメリカ、中国にも赴いて疲れを知ることなく市場開発に努めたのでした。1867年のパリ万国博覧会にパテック フィリップは革新的な複雑機能を搭載したタイムピースを出品していますが、これらの技術がやがてコンプリケーテッド・ウォッチにおける当社の地位を揺るぎないものにして行くのです。

パテック・フィリップを愛した著名人たち

1851年、ヴィクトリア女王が竜頭巻上げ・時刻合わせ式18金ペンダント・ウォッチを購入。1877年、ピュートル・イリッチ・チャイコフスキーがルイ十五世スタイルのクォーター・リピーター付懐中時計を購入。1895年頃、マリー・キューリーがジュネーブ芸術協会からペンダント・ウォッチを授与される。

社の急速な発展にもかかわらず、2人の創業者は《世界最高の時計をつくる》という社是を片時も忘れることはありませんでした。1868年、パテック フィリップはハンガリーのコスコヴィッチ伯爵婦人のためにスイス最初の腕時計を製作しました。以後パテック フィリップの創造性は、世界中の女性たちの心をとらえて行きます。

1877年、アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックの死去にともないジャン‐アドリアン・フィリップはただ一人の経営者として当社の理想を追求して行くことになりました。1889年、パテック フィリップは永久カレンダー機構の特許を取得しました。これは月毎の月末はもちろん、4年に1度の閏年も自動的に判別して日付を表示するメカニズムです。1891年1月、ジャン‐アドリアン・フィリップは社の経営を息子のジョセフ・エミールに譲り、3年後の 1894年に亡くなりました。

第二期

第二期

新しい世紀の挑戦

1901年2月1日、当社は株式会社組織となり、社名を《伝統ある時計メーカー・パテック フィリップ株式会社》(Ancienne Manufacture d’Horlogerie Patik Philippe & Cie,S.A.)と改めました。1907年、ジョセフ‐エミール・フィリップが亡くなり、その息子アドリアンが社長に就任します。アドリアンはパテック フィリップ創業者家族のうち、社の経営にたずさわった最後の人となりました。こうして社を経営する人々は交代して行きましたが、卓越性を追求するという哲学は不動でした。そのいくつかの例を上げてみましょう。5つのゴングを備え、ウェストミンスターのメロディーを正時、および15分毎に奏でるタイムピース《レグラ公》(1909年製作)。5分リピーター付の最初の複雑機能搭載婦人用腕時計(1916年)。最初のスプリット秒針クロノグラフ付腕時計(1922年)。最初の永久カレンダー付腕時計(1925)。初期のシンプル・クロノグラフまたはスプリット秒針クロノグラフ付腕時計(1927)。ジェイムズ・ウォード・パッカードがパテック フィリップに発注した13個の複雑タイムピース中の一つである目覚し時計《ジョスリン》。天文表示時計《パッカード》(1927年)。

しかし1929年の世界大恐慌のあおりを受けて、アドリアン・フィリップは社を手放すことを余儀なくされました。パテック フィリップに独占的に文字盤を供給していた《スターン兄弟文字盤製作所》のオーナーであったシャルルとジャン・スターン兄弟が資本参加し、1932年6月14日、アドリアン・フィリップは曾祖父により設立された社の経営から完全に手を引いたのでした。

パテック フィリップの歴史的転換

1932年はパテック フィリップにとっての転換点となる年でした。スターン兄弟は経営を新任の社長ジャン・フィスターに委ねました。フィスターは機敏に効果的な政策を実施し、とりわけ製 造工程の完全な掌握を実現しました。当時はアール・デコの芸術様式が続いた後、シンプルなデザインへの回帰が望まれ始めていました。パテック フィリップはこの動きをとらえ、後に当社のスタイルを体現することになる最初のライン、カラトラバ・コレクションを発表したのでした。逆説的ですが、カラトラバのラウンド・ケースが体現する洗練されたシンプルなデザインへの回帰は、当時の一般の人々にとってはきわめて斬新なことだったのです。

カラトラバ、その名称の由来と現在

パテック フィリップの伝説的なコレクション、カラトラバの名は、1158年、同名の都市をムーア人の攻略から守ったスペインの宗教騎士団に由来します。パテック フィリップでは十九世紀末、カラトラバ騎士団の勇気を讃えるため、騎士団の紋章である、4つの百合の花を組み合わせたカラトラバ十字を社のエンブレムとして採用しました。今日パテック フィリップのすべてのムーブメントには、このエンブレムが誇り高く輝いています。

カラトラバは、バランスのとれたプロポーション、ピュアなラインにより、発表と同時に紳士用腕時計のクラシックとしての地位を確立しました。パテック フィリップは、その後も相次ぐ驚くべき技術的壮挙により他社との差を広げて行きました。1927年から1933年にかけ、当社はアメリカの大富豪ヘンリー・グレーブス・ジュニアのために当時世界で最も複雑なタイムピースを製作しました。また1944年以後は、当社の腕時計用ムーブメントがジュネーブ天文台による計時精度コンクールで次々と第一位を獲得して行きました。そして4年後の1948年、パテック フィリップはエレクトロニクスおよびクォーツ・ムーブメントの製造を目指してエレクトロニクス部門を開設したのです。

第三期

第三期

確立する技術的優位1950

1950年代を通じ、パテック フィリップはその技術的優位をさらに確固としたものにして行きます。自動巻腕時計の発売(1953年)に続き、全エレクトロニクス・ムーブメントを搭載した最初の置時計の製造が開始されました。1958年には数々の功績を成し遂げたジャン・フィスターが定年退職します。シャルル・スターンの息子で1936年以来当社ニューヨーク支店長であったアンリ・スターンがその後を継いで社長に就任、20年間にわたりパテック フィリップをさらに発展させて行きます。アンリ・スターン社長の指揮の下、1962年、当社のトゥールビヨン、アンクル脱進機、自由振動髭ぜんまい搭載ムーブメントがジュネーブ天文台計時精度コンクールにおいて未曾有の最高得点で第一位を獲得しています。

1970年代は社会的、芸術的変動に満ちた高揚の時代でした。常に時計製作のアヴァンギャルドを歩むパテック フィリップはこの時期、当社の最も個性的なライン、ゴールデン・エリプスを創作しました。古代から理想的なプロポーションとされてきた黄金分割を取り入れたゴールデン・エリプスは、自然な優美さで見る人を惹きつけずにはおきません。1976年には、パテック フィリップのスポーツへの緊密な関わりをさらに強化するノーチラス・コレクションが発表されます。
1978年にはアンリ・スターンの息子でスターン家3代目のフィリップ・スターンがパテック フィリップ社長に就任しました。先代社長同様、フィリップ・スターン社長の下、当社は《世界最高の時計をつくる》という創業以来の伝統をさらに押し進めて行くことになります。このため今日の先端を行く最新技術と、卓越した伝統工芸技術の両面において大規模な投資が続けられています。こうしてコンプリケーションの世界は、パテック フィリップの創造性と技術力を発揮するまたとない舞台を提供し続けているのです。1989年には、当社創業150周年を記念して9年におよぶ研究開発・製作の末完成した《キャリバー89》が発表されました。《キャリ バー89》こそは世界で最も複雑な機械式タイムピースであり、その地位を揺るがせる時計は今日に至るまで現われていません。

完璧なメモリー

1996年、パテック フィリップは新たな特許を取得しました。年次カレンダーがそれです。この機構は月末が30日と31日の月を自動的に判別し、日付修正は1年に1回、3月1日にのみ必要です。年次カレンダーには現在6つの基本モデルがあり、そのいくつかはパワーリザーブ表示やムーンフェイズ表示を搭載しています。

第四期

第四期

輝かしい未来を約束する偉大な伝統と遺産

二十世紀最後の10年間を通じ、パテック フィリップは、ゴンドーロ・コレクションとTwenty-4コレクションという2つの新しいコレクションを生み出しました。ゴンドーロ・コレクションは、 1902年から1930年代にかけて当社がブラジルの販売店ゴンドーロ&ラブリオ社のために製作した《クロノメトロ・ゴンドーロ》からその名を得ています。ゴンドーロ・コレクションこそは、二十世紀の時計製作とパテック フィリップの歴史に決定的な足跡を残したアール・デコ運動の功績を讃えるものといえましょう。
1996年、パテック フィリップは世界で最も先端的な時計製作センターをジュネーブ郊外のプラン・レ・ワットに建設しました。この新しい時計製作センターは、創作デザイン、設計、製造、検査、ロジスティック、マーケティング、コミュニケーションなど当社のすべての活動を統合したパテック フィリップの本社工場です。
西暦2000年の到来は、人類の進歩への夢を体現していました。それはパテック フィリップの創作者たちに、創造性と技術力によりさらに自己を乗り越えるまたとないチャレンジを提供したのです。新しいミレニアムの到来を前にして、それにふさわしいユニークピースを創作する。それは未曾有であると同時に勇気のいる挑戦でした。こうして複雑機能の数ではなく、時を最も詩的に表示することを目指したマスターピース、《スターキャリバー2000》は誕生しました。《スターキャリバー2000》を完成させたパテック フィリップの謹直で情熱にあふれた時計製作者たちの使命はこれで終わったわけではありません。今日もパテック フィリップの工房からは傑作の数々が生み出されているのです。

記念時計コレクション

製品の大きな成功に勇気づけられたアントワーヌ・ノルベール・ド・パテックは1839年5月1日、やはりポーランド移民で有能な時計師のフランソワ・チャペックと共同で最初の会社、《パテックチャペック社》を設立しました。6名の工員を抱えるパテックチャペック社は、年間200個の高品質な懐中時計を生産していました。
今日まで保存されている数少ない当時の製品を見ると、美的な探求と技術的な巧妙さが統合され、きわめて完成された境地に達していたことが分かります。しかし6年後、フランソワ・チャペックは社を退きます。

一世紀に四個の歴史的マスターピース

パテック フィリップは、二十世紀を通じ4回にわたり、超複雑タイムピースにおける創造性と技術力を立証する著名なチャレンジに挑みました。ジュネーブのパテック フィリップ・ミュージアムを訪れる人々は、当社の歴史を彩る輝かしいタイムピースの数々に混じって、これら4つの歴史的マスターピースを目の当たりにすることができます。今日パテック フィリップは、その名声と伝統に忠実に、七宝細密画や彫金に代表される伝統芸術の保護育成に努めています。そして希少な芸術家たちによる精細な装飾を施された懐中時計、コンプリケーテッド・タイムピースを発表し続けているのです。